「春秋戦国時代とは」
中国,古代の時代区分。前770年,周の東遷から,前221年,秦の統一までの約5世紀半の間。 前403年,韓・魏・趙が晋を3分した時を境に,前半を春秋時代,後半を戦国時代に分けます。 春秋時代には、周王室はまだ支配階層として君臨していて、各諸侯は尊皇攘夷というスローガンのもと各同盟を結び外的に備えました。
尊皇攘夷とは周王を主君として仰ぎ、外敵を撃退するという意味です。※幕末の倒幕と思って頂けると分りやすいです。
春秋時代には、春秋の五覇という有力諸侯がいました。 五覇については諸説ありますが、一般的には斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王夫差、越王勾践を指します。 この五人の覇王たちが勢力争いをしていた最中、晋の国が家臣の独立で韓・魏・趙という三国に分裂します。この分裂以降、下克上が激化し、周王室の権威は失われ、中国は戦国時代へと突入するのです。 戦国時代は、斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙と言った国々が、新たに戦国の七雄として並びます。
最終的に、富国強兵に務めた秦が東周王室とその他6国を滅ぼし、中国統一を達成しました。
~キングダムの世界~実在したキャラ~
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キングダムの世界は春秋戦国時代を漫画にした今大人気の漫画です。 実在したキャラ・オリジナルキャラをご紹介しましょう。
信(シン) 実在の秦の武将「李信」 紀元前226年、燕の太子丹が主導した荊軻による秦王政(後の始皇帝)暗殺未遂事件の報復として、燕都・薊を攻略し、 燕王喜と太子丹を遼東に敗走させた(燕の事実上の滅亡)際に、李信は約1000の兵を率いて燕軍を追撃し、太子丹を討ち取っている 紀元前225年、楚攻略戦の総大将となり副将の蒙恬と共に二手に分かれて侵攻、連戦連勝を重ねるが 城父で李信と蒙恬が合流した所を、三日三晩追跡して来た項燕率いる楚軍に奇襲され大敗。総大将の地位を交代させられる しかし粛清され ることなく、紀元前221年には王賁と蒙恬と共に斉を攻め、これを滅ぼしています。 このため史実でも秦王政に信任されていたと思われます。 子孫も戦乱を生き残り、曾孫は前漢時代の将軍・李広、その孫には史記を書いた司馬遷の親友、李陵(中島敦の小説でも有名)もいます 唐時代の詩人李白も子孫だそうです。
政(セイ) いわずと知れた、後の秦の始皇帝。
穆公(ボクコウ) 山の民の経緯なども史実どおり。秦を大国に押し上げた君主です。 数々の国を討ち破り、遊牧民族(西戎(せいじゅう)を散々に討ち破った人物。 春秋五覇の一人に数えられることもある名君。
昌文君(ショウブンクン) 史実でも秦の重臣 しかし経歴の記録は非常に少なく紀元前238年に起こった「嫪毐の乱」を昌平君と共に鎮圧した事と紀元前226年、 某山に移って死去した事しか判っていない。
呂不韋(リョフイ) 史実でも秦の実力者。
李斯(リシ) この人も呂不韋の派閥に属しているとなって いますが史実では政の近侍となっている。 (但し最初は呂不韋の食客で、彼に推薦された) 秦の中華統一に内政面で最も貢献した人物 しかし始皇帝死後の権力争いに敗れて処刑される。
王騎(オウキ) 実在の人物ですが記録は少なく紀元前246年(秦始皇元年)、秦王政が即位すると、蒙驁(モウゴウ)、麃公(ヒョウコウ)らと共に将軍に任じられ2年後に病死した事しか判っていません。 しかし、実は彼には長平の戦いなどで活躍した将軍王齕と同一人物説があります。 王齕(オウコツ)は長平の戦いでは総大将白紀の副将として活躍 紀元前259年、白起に代わって将として趙の武安君を討ち、翌年の趙都邯鄲攻めでは、戦況が思わしくないので王 齕が代わって総大将となっています。 彼の記録は紀元前247年に韓の上党を攻めて攻略したのを最後に途絶え、 翌年に王騎が将軍に列したと記録されてるので同一人物ではと古来より言われています。
桓齮(カンキ) 実在の人物。但し蒙驁軍の副将だったとか、元盗賊だというのは史実ではない。 紀元前237年、将軍になり活躍するが紀元前233年、再び趙を攻めて宜安を攻撃したが趙の大将軍・李牧に敗れる 敗戦の処罰を恐れ燕に亡命し、樊於期と名を改めたとされています。
王翦(オウセン) 実在の人物 秦の中華統一に武略面で最も貢献した人物 燕を功略後に老齢を理由に一度隠居するが、李信の楚攻略失敗から政の要請を受けて再登板、蒙武を率いて楚を攻略する 処世術にも秀でていて、猜疑心の深い政の疑いを打ち消す心配を絶やさず、天寿を全うした。
蒙恬 (モウテン) 実在の人物で秦の中華統一後の武の重鎮 北方の騎馬民族対策として造られた万里の長城の建設責任者 始皇帝の後継者だった公子扶蘇の教育係だった 始皇帝死後の権力争いに負け自害
王賁(オウホン) 実在の人物 父と共に多くの戦場で戦い活躍している 秦の中華統一後通武侯に封じられている。
蒙毅(モウキ) 実在の人物 兄蒙恬が始皇帝に信任されると、蒙毅も親近され、位は上卿にいたり、始皇帝の外出には常に車に陪乗し、 宮中でも常に御前に侍ったその後、同じく始皇帝に寵愛される宦官趙高と対立。始皇帝死後の趙高との争いで冤罪を被せられ殺された
まだまだいますが主なメンバーはちゃんと歴史に名が刻まれています。
「まとめ」 周王が都を移して再起を図ろうとするが、力が縮小され、周王に仕えていた各国の将軍は見切りをつけ、独自の考えで動きだしました。このことで周王以外にも「王」と名乗るものが出始め、同盟・戦の繰り返しで100以上あった国が長い年月をかけ、5国になり、晋国内の反乱により、「魏」「趙」「韓」と国が増えキングダムの世界に入ります。
周王の椅子を狙うために各国独自の文化を持ちはじめ、完全に周王は滅亡。そして秦国の宣戦布告により中国は再び乱世に突入します。最終的には秦国が中国を統一し、始皇帝として「政」が君臨します。
次回は各国の文化を文字の観点からお話しましょう。その文字文化が始皇帝誕生によりどのように変遷し、文字を統一したか、詳しく解説します。
次回「春秋戦国時代の文字文化と、始皇帝による文字統一までの道のり」