漢字の成り立ち
漢字がどのように出来たか、白川静先生の字統を基にご紹介します。
現代社会の問題は「漢字」を書けない人が多いことです。漢字に馴染みがあるのは書道をしてる人や、習字を習っている人でしょう。
しかし、LINEやタブレットでも文字は必ず使います。「スマホで変換すれば楽だし、わからないことはGoogle先生に聞けば早い!」確かにそうですが、なら書ける?っていう疑問が沸いてきます。漢字は難しくなく、漢字は関連性で覚えられます。それをより紐解き、漢字がどのように生まれ、現代まで伝わつたか、「白川先生の字統」と基に解説していきます。そのことで、古代の中国の人はどの生活を送り、どのような考えで中国文化を形成してきたか、日本人はその漢字をどのように解釈し活用してきたか、解かれば解るほど漢字のことが好きになります。
色々な漢字を触れ、漢字の世界に入ってみませんか?「たのしく学べる、漢字の世界」にご招待します!! 鳳韻
縁 エン・ふち へり・よる・えにし
縁は自然に切れる。そんなことはあり得ないんです。縁の由来を見ればわかります。
この由来は「縁」の旧字体である「緣」が「衣服のふち飾り」を意味したことにあります。ツクリにある「彖」が頭の大きなブタを形どっており、大きなブタほどお腹が膨らんでいるため「垂れ下がる」の意味があります。これに衣や布を指す「糸」を組み合わせることで、「衣のへりに垂れ下がる飾り」を表現したといわれています。
ここから、衣と飾りの関係をとらえて「衣服に着けられたもの」、つまり「つながり」の意味へと派生しました。
服の飾りは自然には切れません。何かの衝撃、自ら手を使わないと切れることはないんです。
だから縁は自然に切れることはないんです。糸は解れることはありますが、解れたらだいたい気がつきます。
だから縁は自然に切れるようなことは成り立ちから見ればわかりますよね?
皆さん縁が解れるような時はもう一度修正できるということにもなりますね(*^^*) 縁は切る側と切られる側がいて切れる訳です。
漢字の成り立ちで見方が変わりましたか?笑っ
最
最」サイ、とる、あつまる、もっとも
最の成り立ちを話す前に、「取」を話さないといけません。 「取」シュ、とる、めとる
取は「耳」と「又」でできてます。
「耳」は耳の形、「又」は右手です。右手で耳を取ってる姿です。
古代の戦では撃ち取った証拠に左耳を切り取り、耳の数で戦功を数えてました。理由は殺した遺体を運ぶには大変な労力がかかった為です。
その姿から「とる、めとる」の意味が生まれました。
最はその取った耳を「旦」である袋に入れて集めた姿です。そこから一番功績があった者を「最」といい、最後、最高など一番を表す意味になりました。
最の意味は戦から産まれたんですね(・・;)最高、最強など、使うことに少しためらいます笑っ
どう感じました?(^-^)
望
ボウ・のぞむ・ねがう
望は爪先立つ人を横から見た形と臣が合わさった字です。
臣は上を見てる目の形で大きな瞳を表します。
つまり、爪先立ちで遠くを見てる人の姿。
大きな瞳で目力で敵を抑えつけ、服従させる呪文的な行為を表します。
昔は目の力には呪文的な威力があると信じられてました。 「目は口ほどに物をいう」とはそのことから来てますね(*^^*) ねがう、のぞむの意味はそういう人の姿から意味付けられました。
皆さん、望みはありますか?あるなら遠くを爪先立ちで見てください!叶うかもしれないんです笑っ
真
シン・まこと
真は「ヒ」と「県」をあわせてできた文字。
「ヒ」は死者のこと。「県」は首の転倒の形。
真は不慮の災難で行き倒れとなり死んだ人をさします。
変わることがない、永遠なものって言う意味から「まこと」の意味が生まれました。 「真」のように変わることがない志が今は必要ですね(*^^*)
「相」
ソウ、ショウ、あい、みる、たすける
相は木と目を合わせた形です。
相は木を目で見る意味で、生い茂った木の姿を見ることは、木の生命力を吸収したいと言う考えがあったと思います。
見る者を助けて盛んにすることから「たすける」と言う意味が生まれました。
相手のことを助け、助けられる関係こそ、本当の相手になるんだと思わされました(*^^*) 「相」の意味から人と関わることでお互いがちゃんと支えること、それが難しく、しかし美しく思いませんか?(^-^)